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夫婦の不和の原因

2010–09–05 (Sun) 00:00
私がまとめの一つとして書こうと思っていたことと、ほぼ同じことが書かれた文章がありました。
ある牧師さんが書かれたもののようです。



夫婦の不和の原因の多くは、相手にあるというよりも、これまでの人生でお互いが抱えてきた傷やトラウマが原因なのです。

結婚すると、問題が起こるというのは正確な理解ではありません。


先に書いたように、誰であっても人生というものは多かれ少なかれくさいものにふたをしている状態です。くさいものとは、過去の傷、トラウマ、責め、罪と呼ばれるものの事です。

今日の社会はストレスの多い社会です。うつ病患者は100万人を超え、その予備軍は1000万人とも言われています。これらの現象は、人生に起こった出来事に対して蓋をして押し込めてしまった結果です。

ですから、本当にストレスのない軽い人生というものは、表面的になしあわせではなく、蓋をしていたくさいものが完全に処理された状態が必要なのです。

この、ため込んでいた問題は言い換えると「癌」のようなものです。 そして夫婦の不和はその結果の「痛み」なのです。癌そのものに痛みがあるとは限りませんが、癌を抱えているなら、いづれ発病する危険がありますし、進行すると痛みをもたらし、最終的には死にいたります。

ここで知ってほしいことは、痛みそのものは原因ではないということです。痛みはないほうが良いのは当たり前ですが、かといって痛みがなければ癌の存在を知ることができません。

そういう意味で、痛みとはよいもので、夫婦に置き換えて考えるなら、夫婦がぶつかるということも、正しく捕らえ、対処するならよいものなのです。

このような肯定的な視点を持つことは、夫婦の問題を取り扱う上で重要です。

境界線 / Ⅴ-3 

2010–08–20 (Fri) 00:00
Ⅴ-2で書いたことが通用しないケースも存在します。その例として、

DV、モラルハラスメント、パワーハラスメント、いじめ、虐待、ストーカー、PCによる被害、等・・・

境界線の侵入が極端になると、人権侵害や犯罪にも繋がるケースです。

実際、私の周囲でも、大なり小なり上記のような問題を耳にします。



このようなケースでは、侵入者は加害者、侵入される側は被害者という立場になります。

問題は、その行為が継続されたり加速されて、被害者にストレスを与え続けるということです。

加害者から送り続けられる、言葉や態度や視線や文字での「否定」や「支配」のメッセージは、

どんなに健全な人の心も不安定にさせ、侵入をブロックさせる力を失わせる力があります。

そのようなメッセージが送られる度に、被害者の自尊本能は不安や恐怖に支配されるようになり、

強い抑うつ感や自己否定、トラウマやPTSDを抱えて苦しむことになったり、

生存本能さえ失うほど追い詰められる場合もあるのです。

加害者の行為が、被害者への尊重に欠けているのは言うまでもありません。 



それぞれの問題とは言えないレベルなので、

そういう環境にあり辛いという自覚がある場合は、そこで我慢をしないで、

信頼できる人や専門機関に相談して、一人で抱えないことが重要です。

被害者は、自分に何か問題があるからではないかと思って我慢しがちですが、

それは、正常な状態ではないのだとまず認識することが必要です。

最善の選択は、できれば、勇気を持って加害者の居ない環境に変えることです。

なかなかそうはできないかもしれませんが、過剰なストレスを我慢して

その状態を維持することは、心身共に無理が出てきます。

加害者から離れても、しばらくは、後遺症で苦しむ人もいるからです。



加害者になってしまう人も、ある意味、被害者だった可能性があります。

深層心理には、心に痛みを抱えたアダルトチルドレンが存在し、 

過去のトラウマに脅かされる自尊本能を補う術として、特定の相手を支配することで

自分の価値を確認してしまうという心理が存在している側面もあるのかもしれません。



今は、社会現象のようにこういった問題が社会全体に潜在しています。

こういう極端な例を参考にしてみればとても分りやすいと思いますが、

境界線を曖昧にしないということは、お互いの尊重と存在肯定のための

基本の心がけであるように思います。

境界線 / Ⅴ-2

2010–08–16 (Mon) 00:00
理解し合いたいのに・・・

ただ、普通にうまくやりたいのに・・・

心が通じ合えない、思うようにいかないと思ったとき、

お互いの境界線を曖昧にしてはいないでしょうか?

気付かずに、何か不快感を与えていたのかもしれません。

どんなに親しくても、心を許していても、

反対に、そんなに親しくなくても、

相手と自分の境界線は、曖昧にしないほうが健全です。

境界線が曖昧になると、相手への尊重も曖昧にしかねないからです。



境界線とはお互いの陣地のようなもので、

それは、その人の侵されたくない深遠な領域です。

そこを侵すと、相手の陣地内では、自己肯定の本能がゆさぶられて、

不安感や不快感という抵抗が起きてしまいます。

他者との領域を安易にぼかすと、必ず痛手を負うことになります。



さまざまな人間関係において、

理解できない、思い通りにならない、自分が尊重されない

そんなとき・・・


相手の言動に一喜一憂し、心を荒立ててしまう。

思考がそちらへ引っ張られてぐるぐる・・・①


多少なりとも、こんな感情が起こりませんか?

まるで存在を否定されたように・・・悲しくツライのです。

それは、自分の領域に侵入を許すことで起ります。

侵入する人もそうですが、侵入を許しやすい人も、

元々、自己肯定できない部分を持っていて

それがゆさぶられ、不安や苦痛を覚えやすいのです。



相手の言動に触発されて、相手が放ったエネルギーを食べてしまうと、

化学反応のように、上記①の感情に支配されたり、

それがどんどんマイナスの感情の連鎖を生み、

今度は、侵入しなければ気がすまなくなります。

(相手を責めたり、皮肉を言ったり、陰口で自分を肯定して安心したくなったり・・)

直接、相手に不満を言わなければ問題ないかというと、

想念というように想いはエネルギーなので、

そういうことは、相手も敏感に感じ取ってしまうものです。



極端に言えば、相手がどう考えようと、どう反応しようと自由。

そこまでは責任取れない問題だとの認識が必要でしょう。

相手は私じゃないんだもん。

自分の思い通りになんてならなくて当たり前。

過剰な期待やそうであるべきという思い込みが、被害者意識やエゴを生んでしまいます。

それでも、それがやめられないのは、思考の癖です。



自分に矛先を向けてはいても、その怒りは相手のものです。

それを食べて消化不良を起こすより、食べないほうが身のためです。

何かで怒っていても、イライラしていても、無視されても、

それは、相手の思考内で起っていること。

自分の気持ちを誤魔化したり、相手に無理に合わせることを辞めて、

相手がクールダウンするまでちょっと距離を置き、静観しましょう。

あれこれ考え悩んでも、それは現実ではなく想像の域を出ません。

その想像力は大抵、ネガティブに発展します。



現実は思考によって変化します。

問題を放置していたら、何度でもそれは起ります。

相手を責めたり、自分を責めてもその問題は、結局、改善されません。

そのスパイラルから自分を解き放つのは、相手ではなく自分です。。

私自身は、理解はしていても、その原理を実感するまでには長い時間を要しました。



私は、あなたの領域を侵す人間ではないよ。

あなたを認め、あなたという存在を尊重しています。

というメッセージを言葉や態度で示すことで、

関係は少しずつ変わってくると思います。

境界線を心がけることが、相手への尊重であり、自分への尊重です。

そうできて初めて、冷静に現実を見渡せるようになり

また、対等に向き合えるようになります。

問題を解決したくても、相手を尊重した態度や言葉がなければ、

いくら話し合っても、健全な関係は築けないでしょう。

境界線 / Ⅴ-1

2010–06–21 (Mon) 00:00

自分と相手との境界線が曖昧




侵入する・・・ 相手の家(領域)に土足で踏み込む、相手の土地にゴミを平気で捨てる・・
侵入される・・・ それを許可してしまう   Ⅳの続きです。


家や土地というのは、見えないそれぞれの領域に対するたとえです。

家を、「心」、「アイデンティティ」に置き換えて読んでみてください。


地震が起こり、家がぐらぐらと揺れると不安なように、
家の基礎が不安定だと安心して住めませんよね。 それと同じように、

人間の自我の基盤であるアイデンティティが構築されていないと、
何かのキッカケで、自分の基盤がぐらぐらと揺れやすく、
不安定な自我を守れず、自分自身を肯定できなくなるのです。


その、不安定な自分を守れない、肯定できないことが、自尊感情の欠如 です。



それによって、侵入する、されるといった関係が起ります。



家主が、自分の家を大切に住んで、メンテナンスし、きちんとセキュリティをすれば
どんな人も土足で上がれないし、チャイムを鳴らして待っていますよね。

土地も野放しにせず、手入れをした庭にしていたら
無闇にゴミを捨てられることもなくなります。



反対に、住人が大切にしていない家、セキュリティのない家だと、
土足で上がってもいいか・・・と上がられてしまい、

野放しの土地だから、ゴミを捨てても良いだろう
ということが起きます。



この人はこのくらいのことをしても大丈夫だろう・・・

これが、相手への侵入です。


侵入する人は自分の家の居心地が悪く、落ち着けない状態なので、
大丈夫そうな相手だと思うと、安心して上がりこむようになります。


最初は友好的に優しくやって来ます。
そのお客様は、侵入される側にとっても魅力的に感じることもあるので、
自分の家が気に入ってもらえたのかと、自尊感情を補えるような
気持ちになって、受け入れるようになるのです。


次第に、安心した侵入者は、土足で無作法に押し掛けて来るようになってきます。


侵入される人は、だんだん違和感やストレスを感じるようになります。
なんであの人は、別の人の家ではきちんとチャイムを押して
靴も脱いで、とても良い振る舞いをするのに、うちではそうじゃないんだろう・・・
そう思っても、無理に合わせたり、我慢をしたりします。


侵入者は、持って来たゴミをその家に置いたまま帰ったり
自由に出入りし、それが当たり前になっていきます、
そして、相手が思い通りにならないと、「拒絶されている」
という感情に支配され、その家主を責めたり無視したりして
家主に罪悪感さえ抱かせるようにするのです。


侵入者は、わざとしているというより、無意識でしているのです。


置いていったゴミは、「イライラ、怒り、不満 皮肉、無視」などや
デリカシーのない言動といったもので、それを撒き散らしていい家だから、
そんな自分を受け入れてくれる居場所としてやってくるのです。


これが、相手を侵入させる状態です。



でも、ゴミを置いていかれると、その家は散らかります。
家主も、そのゴミを不快に感じ、どう処理してらいいか分らず、
どんどんストレスが溜まって、自己憐憫の感情に捉われてきます。
そうなると侵入者は、自分を正当化したり、気遣う様子をみせます。

家主は、自分もその家を大事に住んでいないので、私が気に障ることを
したのかも・・と思い悩んだり、そんな家でも来てくれるから、
ほんとは悪い人ではない・・と思い直し、受け入れては逡巡してしまうのです。
また、侵入者が上司や目上の存在だと、余計に我慢してしまいます。



挙句には、どんなにゴミを捨てられても我慢し、
相手の顔色を伺うようになったり、
相手の家のローンまで返済しようとしたり、
うまく処理できないまま、家の中でゴミが腐敗
(住人の鬱積したストレスや病気)を起こしたり、
問題から逃避するといった状態になります。


相手との関係や親しさでも程度は違ってきますが、
境界線が曖昧で、侵入する、されるとは、こういうことです。


どちらも、見捨てられる恐怖が根柢にあり、お互いに依存し合っています。
「どんな自分でも、受け入れて拒絶しないで欲しい」
という、切実な不安や心の叫びが無意識にあるのです。


どちらにも共通するのは、歪が出てしまった家を、
どこから手をつけて改善して良いか分らない点です。
傾いたり、床は抜けそうでいつも悩んでいるのに、応急措置しかせず
目を背けて避けているので、居心地は根本的に改善されません。



自分の家の基礎がしっかりできている家主だと、多少の地震や災害でも、
土台(アイデンティティ)がぐらついたりたりしません。
外観(外見や表面的な印象)、車や持ち物(学歴や仕事やステイタスなど)
ばかりで自分を繕おうとせず、家の中(自分の内面)にも目を向けて
家の状態を安定させているのです。


しかし、Ⅱでも書いたことに繋がってくるのですが、
実際は、そういう家主の方が少ないと思います。
基礎が頑丈な家は、バランスよく建築されたものですが、
家主が、それを自覚して出来上がったとは限りません。
それは、基礎が不安定な家主も同じです。


家の基礎は、完成してしまうと表面的には見えない部分のように、
自分のアイデンティティや自尊感情が、どう構築されたのか自覚もなく、
深層に潜む内面の問題にも自覚がない人の方が圧倒的に多いのです。

基礎がしっかりしていない家主は、誕生以降~青年期までの
発達障害などで、両親との関係や、環境や様々な要素が絡み合い
本人には無自覚にそういう状況にある場合が殆んどだと思います。

3つの傾向 / Ⅳ 

2010–06–19 (Sat) 00:00
人間の傾向は、大きく分けると3つに分れるように思います。
この3つの傾向は、どんな人にも多少は見られるものではないでしょうか。

案外、自我同一性拡散というのは、誰にも起り得るよくある傾向の一つかもしれません。
ただ、その傾向が強いと、様々な問題を作りやすいということなのだと思います。



- 自己アイデンティティの『陽性症状』状態 -

外側にエネルギーを吐き出さずにはいられず、特に、特定のターゲットに、
感情(イライラ、怒り、不満 皮肉、無視など)を向けたり、また、
見下した(無意識の場合もある)相手には、感情をあらわにしやすい・・・発火・地雷型

【傾向】 攻撃、抑圧、支配、不満 打算(上か下か、敵か味方か) 被害者意識 逃避 侵入する  



- 自己アイデンティティの脆弱状態 -

本心を隠して表面的には何でもないように振舞うが、
内側に溜め込んだ鬱積した感情をうまく処理できず(感情の蓋をしたり)
人知れずストレスや悩みを抱えていて(無自覚な場合がある)
我慢がいつか起爆剤となりかねない・・・蓄積・時限爆弾型 

【傾向】 過剰防衛、萎縮、妥協、自責、不満 愚痴 被害者意識 逡巡する、逃避 侵入させる
  


- 自己アイデンティティの『陰性症状』状態 - 
    (自己アイデンティティのリアリティ(現実性)が減弱している状態)

自律性や積極性(興味関心)が失われ、何をしても喜びや感動といった情緒が乏しく、
ほとんどの事柄に関心がなく、他人との交流も少ない。
家族や周囲とも親密な関係を持とうとしない・・・感覚鈍感・不発型

【傾向】 無関心、無感動、拒絶、孤独感の欠如、親密性の欠如 逃避 排他的



いずれも、アイデンティティの混乱状態です。

共に、自我を守っているアイデンティティが弱く不安定なため、
自己防衛本能が過剰になり、不安や恐怖の思考回路が出来てしまい、
セルフコントロールができない状態になるのです。

それは、Ⅲでも述べた、自己保護の障害の傾向を生みます。


    
、衝動的に自ら感情の地雷を踏んでしまう。自覚が薄いので、繰り返す。

、ストレスという火薬を蓄積させているので、いつか着火し
  爆発する(心身の不調、精神障害など)可能性がある。

、他者とのコミュニケーションや接触を必要としない。 
  なんらかの原因で、情緒をつかさどる部分が、機能していない可能性がある。


のいずれの傾向にせよ、その度合いが強い、弱いということもあります。



傍から見ると、何の問題もない人に見える場合も多いのですが、
、どちらかの傾向は強いが、その両面を持っていて、
の処理できない感情によって、の衝動性が促される(着火させる)・・など)
相手やTPOによって出し方を変えるという場合など、傾向は様々です。
(外では穏和なのに家では違うとか、うちの子に限って、人によって・・とか)



相手との境界線が曖昧で、侵入する、侵入される(自己保護の障害)
とは、心を許し合うということではありません。


たとえば、お互いの境界線を家や土地に例えた場合・・

侵入するというのは、相手の家(領域)に土足で踏み込む、
相手の土地にゴミを平気で捨てる・・・といった状態 ⇒主に傾向

侵入されるというのは、自分の家(領域)に土足で踏み込ませてしまう
自分の土地にゴミを捨てられてしまう・・・⇒主に 傾向
といった感じです。(詳細はⅤに記述)



の、自己アイデンティティのリアリティ(現実性)減弱は、
脳内でセロトニンやノルアドレナリンなどの量が
減少していて、神経間の情報伝達がスムーズに
行われなくなることによる影響かもしれません。  


すべて本能を守っているはずのアイデンティティが弱く、
その本能を守りきれないために起る混乱状態です。


上記の傾向は、社会、家庭生活、夫婦関係において、大小なんらかの
トラブルや問題を引き起こしやすい要因になってしまいます。


Ⅰ、Ⅱで取り上げた浮気問題は、そのほんの一つの症状のようなものです。
特に男子は女子よりも、アイデンティティが性本能にも直結しており、
その本能を守りきれない傾向があるということなのですね。


自分の見たくない部分は、客観的に見れないのが人間ですが、
それを自覚し、自分を「負のからくり」から解放するために、
等身大の自分を受け止めて、自分に誠実に向き合えるかどうか・・・
そこが今後の人生の分岐点だと思うのです。


Ⅴへ・・

自我同一性拡散 人間(男女共通)の傾向/Ⅲ

2010–06–10 (Thu) 00:00
Ⅱで取り上げた、自我同一性拡散 について考察してみたいと思います。 
 


私たちが通過した青年期は、自分は、こうなりたい、こうである、
という、一定の思想や理想に対する自分の姿を求める時期にあたります。


そして、主体性、独自性、過去からの連続性、及び集団帰属感や
社会的受容感の発見で、新たな自己像の再統合を果たし、
「自分らしさ」ともいうべき正確な自己像、
自我同一性(アイデンティティ)を獲得します。


そうでなければ、自分の人生に何を求めるかの点で
混乱した状態に陥るのです。


青年期には、一過性的に、正確な自己像が掴めない時期
「同一性拡散」状態が起ります。



しかし、思春期までに、様々な発達性障害を抱えてしまうと、
心理的離乳が果たせず、現実の自分と、理想の自分、
社会での自分にギャップを感じ、うまくバランスが取れないまま、
自我同一性ができず、成人期、中年期になっても、
アイデンティティが不確実なままということもあるのです。



自分という基準がなければ、自分は自分、他人は他人と
主体性のある考えが困難になります。


それによって、他人との境界線が曖昧で、他者に侵入したり、
他者の侵入を許したりするという、自己保護の障害が起ります。

見捨てられる恐怖、自己像の未確立、対人関係の不安定の特徴がある、
ボーダーラインも一つの傾向だと思います。


それは言い換えれば、自尊感情や、相手との親密性の障害になります。


自分を尊重できないと、相手を尊重できないからです。




特定の一人の異性と付き合ったり、ましてや、結婚するということは、
相手を尊重し、相手の存在そのものを愛するということです。
それには、お互いに自我同一性をしていなければなりません。


相手が自分に合わせてくれないからといって、
相手自身や人格(自我同一性)を否定することはできないからです。


自我同一性に失敗すると、特定の1人と付き合うことで、
普通は、意見の相違もあって当たり前ですが、
思うようにならない = 自己像(自分自身)を否定されている
と不安を覚えるようになり、過剰な自己防衛本能が働いてしまい
相手を責めたり、ときにはそれが攻撃的になってしまったり、
逃避してしまうといったことが起きます。 


そして、それが過剰になると、依存している相手を
「思うようにする」奴隷状態にしてしまうこともあります。 


それによって、孤独感に陥り、様々な依存症や、浮気や不倫に走る
また、それを助長させてしまうといったことも起るのです。



これは、特定の異性に限らず、友人や、人間関係でも同じ傾向です。
そして、男女共通の傾向にあります。

その状態にあると、冷静に認識することが難しいと思います。



思考の傾向には、必ずそうなった原因があり、原因は結果を生むという例です。 



前回は、アイデンティティの問題について、男子の浮気や不倫問題に特化しましたが、
肉体的な事情などで、浮気はしていなくても、自我同一性拡散の状態にある人もいます。
そういう場合は、モラル男子ではなく、浮気男子と同じ状態にあると思います。
一応、傾向として「浮気男子」とカテゴライズしていましたが、不確実男子(女子)
の方がいいかもしれませんね(分りやすければ、何でもいいのですが・・・)

アイデンティティと性道徳の相関性/Ⅱ

2010–06–04 (Fri) 00:00
そんな現代でも、欲望や感情をコントロールできず
浮気や不倫をする男子の場合・・
そうでない男子に比べて、進化していないのか?



少なくとも、知性とも相関性がある、 



アイデンティティ  そして、 品性



この二つが、鍵ではないか・・・と思う。


精神分析家、エリク・H・エリクソンの理論でいう
アイデンティティが形成されるライフサイクルで、
浮気男子は、自我同一性拡散という心的要因を
抱えたままなのかもしれない。


アイデンティティが不確実なまま成長すると、
自尊感情が低く、セルフコントロールできず
社会生活や家庭生活で、精神的な混乱をきたしやすくなる。


本能を守っているはずのアイデンティティが脆弱だと、
その本能を守れない状態になってしまう。
男子は特に、アイデンティティが性本能にも直結しており、
その本能を守りきれない傾向にあるのではないか。(追記)


そして、そのアイデンティティに支えられているのが品性。
品性は、価値観や信念そのもので、
モラルに対する姿勢でもある。


比較的、アイデンティティが構築された男子は
たとえ、そういうチャンスがあったとしても
モラルや、いろんなリスクを想定して、自己コントロールでき、
本能や感情だけで、浮気や不倫に踏み込む確立が低い。
そういうことなのではないかしら。


肉体的な事情などで、浮気はしていなくても、
自我同一性拡散の状態にある人もいます。
そういう場合は、モラル男子ではなく、
浮気男子と同じ状態にあると思います(*追記)



女子としては、彼氏や夫はきっとこのモラル男子
だと思っている割合が一番多いかもしれない。




更に、アイデンティティが確立していると、


高い知性と豊かな感性に裏づけられた確固たる価値観、
すなわち、アイデンティティに支えられた、
目先の利害で右顧左眄しない毅然とした姿勢
 


「品格」で引用させてもらった「品性」についての理論のように、
アイデンティティそのものが高く確立され、揺るがなくなる。


そこまで確立された男子になると、
愛の信念そのものが、アイデンティティであり
本能や感情は、唯一のその価値ある存在にしか従わない。
浮気願望や浮気の観念そのものがないのですって。

それだけに、妻や恋人の死などで強い喪失感があると
一時的に、アイデンティティの混乱を起こす可能性がある。


たとえば、智恵子を愛した高村光太郎がそうだったように思う。


でも、残念ながら、オトコ同士でも
「そんなオトコなんて滅多にいないよ」
と言われるであろうほど稀有な存在で、
世の中で1%くらいしか存在しないかもしれない。。


1%というと、だいたい子供やお年寄りを抜きにして考えると、
関東7圏でなんと20人くらいとか。天然記念物並みに少ない・・・
こんなどうでもいい確率を、Nちゃんはパパッとはじき出してくれた(笑)



夫がもし、浮気男子だったら?

建設的に考えると、アイデンティティは中年期や老年期においても
人によって、何度も再構築される可能性もあるらしいので、
うまく再構築されれば、いつかは治まるかもしれませんね。


IQまでの関連性は分らないけれど、
知性とモラルの相関性は多少なりとも、
明確になったような気がする。


子育ての視点で捉えてみても、ライフサイクル理論は
子供の成長過程で大切な要素や課題が見えてくるようにも思う。


ちょっと違う論理になってしまったところで、Ⅲへ・・・

IQの高い男性は、そうでない男性に比べて浮気をしない?/Ⅰ

2010–06–02 (Wed) 00:00
オトコはみんな浮気心があるもの
そういう一般論はよく耳にする。


そんななかで、


IQの高い男性は、そうでない男性に比べて浮気をしない


という、ロンドンスクールオブエコノミクスの Kanazawa Satoshi教授(社会心理学)
の研究結果を目にした。



IQと性道徳との間には相関性があるという結論。


女性の幸せについて関心を寄せる私としては、
ある意味、興味深い話なのだ。。


ということで、
またまた考察してみたくなった。


その昔、一夫多妻制が主流で
狩猟民族だった男性の本能は、
多くの女性に対して、
より多くの遺伝子を残したいという
種の保存という本能でもあった。


次第に、人類は知性を発達させて生きる術を得て、
狩猟する必要性がなくなってきた。


狩猟本能の退行に加えて、
一夫一婦制の概念と理性によって、
男性はその本能をコントロールできるようにも
なったのではないかと考察もできる。


知性と性道徳の関連性は
そう考えると、頷けるような気がする。


そんな現代でも
欲望や感情をコントロールできず
浮気や不倫をする男子の場合・・
そうでない男子に比べて
進化していないのか?

(Ⅱへ)

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