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桃色 Colour Blossoms

2010–10–19 (Tue) 00:00
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  ★★★★★★☆

 
ファン監督の作品は初めて。そして、視覚的に私は好き。
エロティックサスペンスといっても、まったく緊張感漂うシーンはないけれど、オリエンタルで退廃的な美しい映像が、ゆるやかなテンポに相まって優雅で妖しいエロティックな空気を纏わせている。


自分の美しさを知っていて男たちの視線を楽しんでいる制服フェチなメイライは、謎のゴージャスな熟女、梅木夫人のプリンステラスにある高級アパートの仲介を依頼される。内装も調度品もセンスの良いそのアパートに魅了されたメイライ。そこで過去に起きた事件を軸に、物語はメイライをいつしか愛の奴隷にしてしまう。


現在に過去が存在し、それはわざと時間軸のリアリティを与えようとしていないかのよう。これはいわゆるオーラの泉で奥田瑛二が体験したと言っていたゴーストとのメイクラブか?実際、友人がその体験があると言っていた衝撃の告白をふと思い出した。物語としては2流。でも、この作品は映像の美しさだけで〇と思えてしまう。

 
スタイリッシュなセクシーさのある小悪魔的な美女としてメイライを演じるテレサ・チャン、そのメイライがまるで小娘に思えるような円熟したマダム(ちょっとデヴィ夫人っぽい?)の貫禄がある松坂慶子の梅木夫人。トランス・ジェンダーのハリス演じる謎の美女、sho演じるカメラマンのキム・・・と俳優たちが美女とイケメンばかりであり、それがこの物語を彩るファクターになり、この独特の世界観の醸し出すヴィジュアルの美しさに魅入られてしまうようだ。ただそこだけがウリなよくあるドラマとは違う感性がある。女優たちの衣装も見所だと思う。


ただ、終盤が・・・。メイライがなぜそこまで懇願するまでになるのか・・・という心理描写がどうしても希薄。でも、この作品は重さのない希薄さがいいのかもしれない。メイライの妄想と現実とが秘めやかに共存するファン監督の世界を覗き見したような感じだった。

マグダレンの祈り / THE MAGDALENE SISTERS

2009–03–02 (Mon) 00:00
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時代の犠牲者   ★★★★★★


事実は小説より奇なり・・・とはよく言ったもの。
悪い意味なのだけれど、この作品を観てつくづくそう思った。


キリスト教にも枝葉がある。プロテスタントは偶像崇拝を排除し、牧師が妻子を持つのを否定しない。それに比べて、カトリックは、聖母マリアを模範に生き、神に純潔を捧げ、イエスやマリアの迫害を反芻し祈りを捧げて暮らす。
プロテスタントよりカトリックはストイックというイメージを持っていた。でも、ここで神の名の下で行われていたことは、まったくもって、ストイックどころか暗黙の犯罪であり、神父やシスターたちは、人々の拠り所である信仰を利用しただけの、何の信仰心も持ち合わせない、天使に似て非なる悪魔だった。


時の流れは、どんなモノも劣化させてしまう。2千年以上前に説かれたキリストの教えにもそれは言えるはず。聖書にしてもヘブライ語の原書が、遙かな年月、さまざまな翻訳家たちによって、翻訳に翻訳が重ねられ、そこにさまざまな解釈がなされ現在に至るわけだから、どれだけ原書に忠実なのかさえ分らない。仏教の経典も然り。
16、17世紀のヨーロッパにおいて起った、カトリックとプロテスタントの宗教戦争だって、権力や政治絡みに利用されただけであって、隣人を愛せよと説いたキリストの教えはもうそこにはない。


舞台となったアイルランドの価値観や常識も古臭いだけじゃなくズレている。そこでも劣化は如実である。人生のベース(生まれ育った時代、環境)によって、正義や常識の尺度さえ変わってしまうことを痛感させられる。
異様に世間の目ばかり気にする人々。たとえレイプされたとしても、卑怯な男は暗黙に許され、罪のない女に不貞の烙印を押すという女性蔑視社会。ちょっと男の子にモテたら淫乱危険分子的にマークされる。そんな娘たちは修道院送りになり、娘たちを擁護することもできない親の対応も哀しくなってしまう。でも、娘を擁護でもしたら家族は村八分な尻目に合うだろうことも想像に難くない。
しかも、その修道院は、表向きは清らかな矯正施設でありながら、裏を返せば悪魔に魂を売った神父やシスターのいる監獄さながらの場所で、いつ出られるかさえ分らないという、娘たちにとって煉獄への片道切符なのである。自分がそこに居たらと思うと正直ゾッとした。
1996年までそうだったというのだから、アイルランドという国には驚愕させられる。こんな異常が終焉を迎えて本当に良かった。
でも、その価値観は完全に消えたといえるのだろうか・・・・。


「スタンドアップ」といい、この作品といい、「ホテルルワンダ」も、「白バラの祈り」も、レビューを書いた作品は、世界のあちこちで、ちょっと前に存在していた現実。まさに、事実は小説より奇なり・・・。間違った集団意識の恐ろしさは刃より凶器である。
DVDでは、かつてマグダレンに居た女性が登場する。時代の犠牲者の体験は想像以上に重い。


そして、何があっても奪えない人間の魂の輝き。
人権は守られなければならないと改めて強く思う。

マリー・アントワネット   Marie Antoinette

2007–01–22 (Mon) 00:00
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★★★★★☆  

「キャンディとケーキ」のめくるめく世界
マリー・アントワネット人生を、ソフィア・コッポラは教科書通りに描く意味なんてないという。究極のセレブリティでありファッションリーダーだった華やかな王妃の半生は、ソフィアのフィルターを通すと、砂糖菓子のようにスウィートでガーリッシュで贅沢。その影で、一人の女の子マリーが、プライバシーもない王宮生活で何を感じて暮らしていたのかをソフィアの視点で描いている。   

きっと恋することも知らぬまま、異国へ嫁いだ14歳の少女。しかも夫はフランス王太子。全てが祖国と違うことに戸惑う日々と、まだローティーンの少女が直面するお世継ぎ問題へのプレッシャー・・・なのに夫の無関心、無頓着さに一人苦しむ日々。そんな宮廷で繰り返される日常の空虚さをかき消すように、甘く贅沢で儚いヒトトキに溺れてゆく。
究極のガーリーアイテムを視覚で堪能しつつ、不覚にも一瞬睡魔と格闘した私。フランス貴族の生活って、おかしなしきたりもそうだけど、単調な日常に退屈し享楽に走る人々の様が、あまりにも空っぽに思えるのです。母親になるとプチ・トリアノンに籠りがちになるマリー。祖国で母と過ごした時間への懐古でしょうか。

悲劇の王妃
突然のルイ15世の崩御により、無知で若きルイ16世夫妻が即位したこと、それが悲劇への序章だったのです。フランスの歴史をたどると、取り返しの付かないほど莫大な財政破綻は、赤字夫人と言われたマリーの浪費のみならず、ルイ15世時代からのツケや政治的な問題の方が大きかったのです。マリー一人が悪者になった陰には、嫉妬や妬みが渦巻いていた宮廷内の余波が民衆にまで波及し捏造さえも真実とされた事実が浮かび上がります。彼女の悲しい末路の後、フランス革命の流れは、恐怖政治によって多くの犠牲者を生みました。歴史を知ると人間の恐ろしさを度々突きつけられます。
タンブル塔に幽閉され、かつての美貌は衰え、貧しい身なりになっても尚、看守や料理係は彼女の人柄に魅了されたといいます。アントワネットの魅力はいつまでも色褪せることがありません。

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天性の可憐な美しさ
一番違和感があったのは、キルスティンの顔の造形自体がマリーと違い過ぎるということ。似てるのは透き通るような白い肌とブロンドだけ・・14歳だよね??ってくらいフケてるし・・。私にとってはあくまでも、マリーはベルばらや肖像画のイメージであり、この愛らしいマリーの可憐な薔薇色のほっぺも、映画では・・(苦) 
作品の完成度はともかく、今までのどのマリー・アントワネットモノよりも視覚的には楽しめました。動くミュージアムだと思って芸術的視点から歴史を堪能するもよし・・・ってところでしょうか。      

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