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境界線 / Ⅴ-3 

2010–08–20 (Fri) 00:00
Ⅴ-2で書いたことが通用しないケースも存在します。その例として、

DV、モラルハラスメント、パワーハラスメント、いじめ、虐待、ストーカー、PCによる被害、等・・・

境界線の侵入が極端になると、人権侵害や犯罪にも繋がるケースです。

実際、私の周囲でも、大なり小なり上記のような問題を耳にします。



このようなケースでは、侵入者は加害者、侵入される側は被害者という立場になります。

問題は、その行為が継続されたり加速されて、被害者にストレスを与え続けるということです。

加害者から送り続けられる、言葉や態度や視線や文字での「否定」や「支配」のメッセージは、

どんなに健全な人の心も不安定にさせ、侵入をブロックさせる力を失わせる力があります。

そのようなメッセージが送られる度に、被害者の自尊本能は不安や恐怖に支配されるようになり、

強い抑うつ感や自己否定、トラウマやPTSDを抱えて苦しむことになったり、

生存本能さえ失うほど追い詰められる場合もあるのです。

加害者の行為が、被害者への尊重に欠けているのは言うまでもありません。 



それぞれの問題とは言えないレベルなので、

そういう環境にあり辛いという自覚がある場合は、そこで我慢をしないで、

信頼できる人や専門機関に相談して、一人で抱えないことが重要です。

被害者は、自分に何か問題があるからではないかと思って我慢しがちですが、

それは、正常な状態ではないのだとまず認識することが必要です。

最善の選択は、できれば、勇気を持って加害者の居ない環境に変えることです。

なかなかそうはできないかもしれませんが、過剰なストレスを我慢して

その状態を維持することは、心身共に無理が出てきます。

加害者から離れても、しばらくは、後遺症で苦しむ人もいるからです。



加害者になってしまう人も、ある意味、被害者だった可能性があります。

深層心理には、心に痛みを抱えたアダルトチルドレンが存在し、 

過去のトラウマに脅かされる自尊本能を補う術として、特定の相手を支配することで

自分の価値を確認してしまうという心理が存在している側面もあるのかもしれません。



今は、社会現象のようにこういった問題が社会全体に潜在しています。

こういう極端な例を参考にしてみればとても分りやすいと思いますが、

境界線を曖昧にしないということは、お互いの尊重と存在肯定のための

基本の心がけであるように思います。

境界線 / Ⅴ-2

2010–08–16 (Mon) 00:00
理解し合いたいのに・・・

ただ、普通にうまくやりたいのに・・・

心が通じ合えない、思うようにいかないと思ったとき、

お互いの境界線を曖昧にしてはいないでしょうか?

気付かずに、何か不快感を与えていたのかもしれません。

どんなに親しくても、心を許していても、

反対に、そんなに親しくなくても、

相手と自分の境界線は、曖昧にしないほうが健全です。

境界線が曖昧になると、相手への尊重も曖昧にしかねないからです。



境界線とはお互いの陣地のようなもので、

それは、その人の侵されたくない深遠な領域です。

そこを侵すと、相手の陣地内では、自己肯定の本能がゆさぶられて、

不安感や不快感という抵抗が起きてしまいます。

他者との領域を安易にぼかすと、必ず痛手を負うことになります。



さまざまな人間関係において、

理解できない、思い通りにならない、自分が尊重されない

そんなとき・・・


相手の言動に一喜一憂し、心を荒立ててしまう。

思考がそちらへ引っ張られてぐるぐる・・・①


多少なりとも、こんな感情が起こりませんか?

まるで存在を否定されたように・・・悲しくツライのです。

それは、自分の領域に侵入を許すことで起ります。

侵入する人もそうですが、侵入を許しやすい人も、

元々、自己肯定できない部分を持っていて

それがゆさぶられ、不安や苦痛を覚えやすいのです。



相手の言動に触発されて、相手が放ったエネルギーを食べてしまうと、

化学反応のように、上記①の感情に支配されたり、

それがどんどんマイナスの感情の連鎖を生み、

今度は、侵入しなければ気がすまなくなります。

(相手を責めたり、皮肉を言ったり、陰口で自分を肯定して安心したくなったり・・)

直接、相手に不満を言わなければ問題ないかというと、

想念というように想いはエネルギーなので、

そういうことは、相手も敏感に感じ取ってしまうものです。



極端に言えば、相手がどう考えようと、どう反応しようと自由。

そこまでは責任取れない問題だとの認識が必要でしょう。

相手は私じゃないんだもん。

自分の思い通りになんてならなくて当たり前。

過剰な期待やそうであるべきという思い込みが、被害者意識やエゴを生んでしまいます。

それでも、それがやめられないのは、思考の癖です。



自分に矛先を向けてはいても、その怒りは相手のものです。

それを食べて消化不良を起こすより、食べないほうが身のためです。

何かで怒っていても、イライラしていても、無視されても、

それは、相手の思考内で起っていること。

自分の気持ちを誤魔化したり、相手に無理に合わせることを辞めて、

相手がクールダウンするまでちょっと距離を置き、静観しましょう。

あれこれ考え悩んでも、それは現実ではなく想像の域を出ません。

その想像力は大抵、ネガティブに発展します。



現実は思考によって変化します。

問題を放置していたら、何度でもそれは起ります。

相手を責めたり、自分を責めてもその問題は、結局、改善されません。

そのスパイラルから自分を解き放つのは、相手ではなく自分です。。

私自身は、理解はしていても、その原理を実感するまでには長い時間を要しました。



私は、あなたの領域を侵す人間ではないよ。

あなたを認め、あなたという存在を尊重しています。

というメッセージを言葉や態度で示すことで、

関係は少しずつ変わってくると思います。

境界線を心がけることが、相手への尊重であり、自分への尊重です。

そうできて初めて、冷静に現実を見渡せるようになり

また、対等に向き合えるようになります。

問題を解決したくても、相手を尊重した態度や言葉がなければ、

いくら話し合っても、健全な関係は築けないでしょう。

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