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境界線 / Ⅴ-2

2010–08–16 (Mon) 00:00
理解し合いたいのに・・・

ただ、普通にうまくやりたいのに・・・

心が通じ合えない、思うようにいかないと思ったとき、

お互いの境界線を曖昧にしてはいないでしょうか?

気付かずに、何か不快感を与えていたのかもしれません。

どんなに親しくても、心を許していても、

反対に、そんなに親しくなくても、

相手と自分の境界線は、曖昧にしないほうが健全です。

境界線が曖昧になると、相手への尊重も曖昧にしかねないからです。



境界線とはお互いの陣地のようなもので、

それは、その人の侵されたくない深遠な領域です。

そこを侵すと、相手の陣地内では、自己肯定の本能がゆさぶられて、

不安感や不快感という抵抗が起きてしまいます。

他者との領域を安易にぼかすと、必ず痛手を負うことになります。



さまざまな人間関係において、

理解できない、思い通りにならない、自分が尊重されない

そんなとき・・・


相手の言動に一喜一憂し、心を荒立ててしまう。

思考がそちらへ引っ張られてぐるぐる・・・①


多少なりとも、こんな感情が起こりませんか?

まるで存在を否定されたように・・・悲しくツライのです。

それは、自分の領域に侵入を許すことで起ります。

侵入する人もそうですが、侵入を許しやすい人も、

元々、自己肯定できない部分を持っていて

それがゆさぶられ、不安や苦痛を覚えやすいのです。



相手の言動に触発されて、相手が放ったエネルギーを食べてしまうと、

化学反応のように、上記①の感情に支配されたり、

それがどんどんマイナスの感情の連鎖を生み、

今度は、侵入しなければ気がすまなくなります。

(相手を責めたり、皮肉を言ったり、陰口で自分を肯定して安心したくなったり・・)

直接、相手に不満を言わなければ問題ないかというと、

想念というように想いはエネルギーなので、

そういうことは、相手も敏感に感じ取ってしまうものです。



極端に言えば、相手がどう考えようと、どう反応しようと自由。

そこまでは責任取れない問題だとの認識が必要でしょう。

相手は私じゃないんだもん。

自分の思い通りになんてならなくて当たり前。

過剰な期待やそうであるべきという思い込みが、被害者意識やエゴを生んでしまいます。

それでも、それがやめられないのは、思考の癖です。



自分に矛先を向けてはいても、その怒りは相手のものです。

それを食べて消化不良を起こすより、食べないほうが身のためです。

何かで怒っていても、イライラしていても、無視されても、

それは、相手の思考内で起っていること。

自分の気持ちを誤魔化したり、相手に無理に合わせることを辞めて、

相手がクールダウンするまでちょっと距離を置き、静観しましょう。

あれこれ考え悩んでも、それは現実ではなく想像の域を出ません。

その想像力は大抵、ネガティブに発展します。



現実は思考によって変化します。

問題を放置していたら、何度でもそれは起ります。

相手を責めたり、自分を責めてもその問題は、結局、改善されません。

そのスパイラルから自分を解き放つのは、相手ではなく自分です。。

私自身は、理解はしていても、その原理を実感するまでには長い時間を要しました。



私は、あなたの領域を侵す人間ではないよ。

あなたを認め、あなたという存在を尊重しています。

というメッセージを言葉や態度で示すことで、

関係は少しずつ変わってくると思います。

境界線を心がけることが、相手への尊重であり、自分への尊重です。

そうできて初めて、冷静に現実を見渡せるようになり

また、対等に向き合えるようになります。

問題を解決したくても、相手を尊重した態度や言葉がなければ、

いくら話し合っても、健全な関係は築けないでしょう。

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